大判例

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京都地方裁判所 昭和46年(人)1号 判決 1971年10月16日

請求者

田中久代

代理人

井上治郎

拘束者

田中良三

被拘束者

田中良治

代理人

田辺照雄

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

本件手続費用は拘束者の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求者と拘束者は、昭和四二年四月二九日事実上の婚姻をなし、同年六月三日正式に婚姻届をなした夫婦であるが、両名の間には、昭和四四年四月二〇日長男である被拘束者が出生し、ついで昭和四六年一月一〇日次男良和が出生したこと、請求者は、結婚以来拘束者方肩書住所で拘束者および拘束者の両眼失明の実母たみと同居していたが、昭和四五年八月二六日拘束者方を家出して別居し、翌昭和四六年五月初にはいつたん拘束者方に帰来して同居したけれども、同年六月二六日から再度拘束者方を出て別居していること、右二度目の別居中、請求者は、被拘束者を連れて拘束者方を出ていたが、昭和四六年八月二五日、拘束者は、京都市中京区寺町通御池上る所在の本能寺境内にいた被拘束者を拘束者方に連れ帰り、現在までこれを監護していることは、当事者間に争いがない。

二被拘束者は、現在二年六ケ月足らずの年令であるから、意思能力のない幼児であり、拘束者が監護方法として意思能力のない被拘束者を手許におく行為は、当該被拘束者に対する身体の自由を制限する行為を伴うもので、それ自体人身保護法および同規則にいわゆる「拘束」と解するに妨げのないものである(最高裁判所昭和三三年五月二八日大法廷判決、民集一二巻八号一二二四頁、同昭和四三年七月四日第一小法廷判決、民集二二巻七号一四四一頁参照)。

人身保護法による救済の請求においては、人身保護規則第四条本文により、拘束の違法性が顕著であることがその要件とされているが、本件のように、夫婦の一方が、他方に対し、人身保護法に基づき、共同親権に服する幼児の引渡を請求する場合、拘束の違法性が顕著か否かは、幼児が請求者の手によつて監護される方が拘束者によつて監護されるよりも幼児の幸福を図るゆえんであること明白であるか否かを主眼として判断されるべきものと解するのが相当である(前掲最高裁判所昭和四三年七月四日第一小法廷判決参照)。

三そこで、本件において、被拘束者に対する拘束の違法が顕著であるか否かについて判断する。

<証拠>を綜合すれば、つぎの事実が一応認められる。

(一)  拘束者は、亡田中五兵衛および田中たみの三男として昭和四年四月一七日出生し、昭和二六年四月立命館大学を卒業し、国際電信電話株式会社に勤務しているものであり、請求者は、菊岡清および菊岡秀子の二女として昭和一二年六月一四日出生し、高校を卒業して株式会社中央倉庫に七、八年勤めた後、拘束者と結婚するに至つたものであるが、請求者と拘束者との夫婦仲は婚姻当初からうまくいかず、請求者は、つらい思いをしていたが、昭和四五年一月八日には耐えきれず自殺を図つたこともあり、同年八月二六日には、ささいなことがきつかけで、拘束者方をとび出し、爾来翌昭和四六年四月三〇日まで、被拘束者および次男良和と共に拘束者と別居し、京都市中京区姉小路通寺町西入姉大東町五四八番地の実家で生活した。昭和四六年五月一日、請求者は、拘束者の要請により拘束者方に戻つたのであるが、夫婦仲は一向に回復せず、同年六月二六日、請求者は、再び子供二人を連れて実家へ帰つた。この間、昭和四五年九月初ごろ、請求者は、拘束者を相手方として京都家庭裁判所に夫婦関係調整の申立をしたけれども、拘束者は、これまで開かれた期日に一度も出頭しなかつた。そこで、現在では、請求者は、離婚も止むなしと考え、将来の生活設計のため昭和四六年八月二一日から肩書地の株式会社実業インフオーメーシヨンに住込みで勤務することになつた。

(二)  第一回目の別居中の昭和四六年一月一〇日ごろ、請求者が次男を出産のため入院中であつたことなどから、請求者の実母である菊岡秀子は、拘束者方に赴き、被拘束者を拘束者に預けたが、拘束者は、直ちに親戚の安川ときに依頼して被拘束者を請求者の実家に送り返した。その際、拘束者は右安川を通じて請求者の実家に対し被拘束者らの養育料として金一万円を提供したが、請求者の両親はこれを辞退した。別居中拘束者が被拘束者らの養育料を提供したのは、このときのみである。

(三)  ところで、二度目の別居中の昭和四六年八月二一日、拘束者は、京都市内の新京極通りで偶然請求者に伴われている被拘束者に出会い、請求者の了解の下に、被拘束者が請求者の許に帰るといつたら直ちに返すという約束で、被拘束者を拘束者方に連れ帰り、その晩は同所で被拘束者を泊らせたところ、翌二二日も被拘束者は容易に請求者の許に帰るとはいわなかつたけれども、拘束者はこれを説得し、その晩請求者を呼んで被拘束者を引取らせた。そして、同月二五日、拘束者が前記本能寺境内を通りかかつたところ、同所で、被拘束者が請求者の弟の妻である菊岡美通子に付添われて遊んでいるのに出会い、拘束者が被拘束者に声をかけると、被拘束者は拘束者に追従してくる気配を示したので、拘束者は、菊岡美通子に断つて(菊岡美通子は異議を述べなかつた)、被拘束者を自宅に連れ帰つた。そこで、請求者は、同年八月二九日、被拘束者を連れ戻すべく拘束者方に赴いたが、同所に居合わせた拘束者の姉田中さえにこれを阻まれた。ついで、同年九月三日、請求者は、被拘束者が京都市右京区桂の拘束者の兄田中五一郎方にいることを知り、友人の高田紀子とともに被拘束者を連れ戻すべく五一郎方を訪れ、いつたんは被拘束者を抱き上げたが、これを阻止しようとする五一郎と被拘束者を引つ張り合うこととなり被拘束者の泣叫ぶ声についに手を離し、目的を達しなかつた。

(四)  拘束者の親族としては、従来から拘束者方に同居している両眼失明の母たみ(明治二九年一〇月八日生)、前記桂に住居を有する兄田中五一郎(大正一三年六月一日生、広島で原爆にあつたため病身、無職、独身)、五一郎方に同居している姉田中さえ(大正七年七月五日生、京都市中京区役所勤務、独身)、すでに他家に嫁いでいる妹トミがいるが、拘束者は昼間は勤務の身であるため、被拘束者を引取つてからは、五一郎およびさえが拘束者方に泊り込み、昼間は五一郎が被拘束者および母たみの世話をし、夜間は拘束者自身が被拘束者の面倒をみている状況にある。拘束者の自宅は広大で、近所には小学校、幼稚園、児童公園等も存在し、環境としては良好である。

一方、請求者が居住している西浦マンシヨンは、鉄筋コンクリートのアパートで、株式会社実業インフオーメーシヨンは、右アパートの一画に事務所および留守番用の居室を有する興信所であり、請求者は、次男良和とともに右居室に住込み、留守番および電話番等の仕事を担当している。右の仕事は比較的閑であり、また、通勤でもよく、非番の場合には他人に替つて貰える性質のものである。また、前記請求者の実家には、父菊岡清、母秀子および弟菊岡光広夫婦が居住しているが、右の居宅は比較的広く、請求者は、右アパートに移り住む以前、子供二人を連れて右実家の二階八畳および四畳半の二部屋に住みこれを専用していたものであり、現在も右親族らは、請求者が帰つてくれば、いつでも右二部屋を従前どおり提供する用意がある。なお、請求者の両親はいずれも健康で父清(明治三九年六月二九日生)は、会社勤めをしており、母秀子(大正二年八月二二日生)は、現在比較的自由の身であり、請求者らが実家に同居していた間は、被拘束者らの世話もしており、請求者らが右アパートに移つて後も、度々訪れて請求者の仕事を手伝つたり、次男良和の面倒をみたりしている。請求者の両親としては、請求者が別居して勤務することを望まず、むしろ従来どおり、実家二階に同居して育児に専念することを願つている。

以上の事実に基づいて考えるに、拘束者は、請求者の手から無理やり被拘束者者を奪取したものではなく、現在もかなりの愛情をもつて被拘束者を監護しており、被拘束者もある程度拘束者になついでいるように見受けられないではないけれども、二年六ケ月足らずという被拘束者の年令からすれば、この時期に被拘束者を母親たる請求者から相当期間にわたつて遠ざけることは、精神発育、性格形成上回復し難い悪影響を与えるおそれなしとしないのであり、右の危惧は、拘束者側の家族構成、なかんずく、当年四七才の病身、独身の兄五一郎が主として被拘束者の監護に当つているという現在の状態を考えるとさらに増大するものといわざるを得ない。これに対し、請求者は、過去二度にわたる別居期間中、約一〇ケ月にわたり、実家の協力の下に被拘束者の監護を大過なく継続してきたのであり、現在の受入れ態勢が一応整つていることは前記認定のとおりである。

これらの点を考えると、被拘束者にとつては、現在のように拘束者の許で監護されるよりも、請求者の手許に引取られて監護される方がその幸福を図るゆえんであること明白であると判断する。

子を拘束する夫婦の一方の監護の下におかれるよりも、夫婦の他の一方に監護されることが、子の幸福を図るゆえんであること明白であれば、子を拘束する夫婦の一方の拘束が、本件のように、平穏に、不穏当な手段を用いることなく、開始された場合においても、右幼児に対する拘束の違法性が顕著である、というを妨げない。

したがつて拘束者の被拘束者に対する現在の拘束は違法性が顕著であると判断する。

四よつて、請求者の本件請求は理由があるのでこれを認容し、被拘束者を釈放し、被拘束者が幼児である点にかんがみこれを請求者に引渡すこととし、手続費用につき、人身保護法第一七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(小西勝 舘野明 鳥越健治)

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